今では大人がマンガを読むのがあたりまえですが、昭和の二十年代頃までは子供でも、親から「マンガばかり読んで」と言われそうでコッソリ読んだものでした。当時マンガはレベルが低いものというイメージが一般的でしたが、それを一変させたのが手塚治虫の登場だったのではないでしょうか。子供たちの未来への夢をかきたてるストーリー、それと、なんといってもそれまでのマンガにない精緻で美しい表現が子供心にも印象的でした。中でも衝撃を受けたのは代表作の鉄腕アトムではなく、少年誌の綴じ込み付録の読み切り短編作品でした。未来の東京と覚しき都会の摩天楼の屋根裏部屋にひっそりと、ハツカネズミと暮らす孤児の少年の物語(あとで調べたら「摩天楼小僧」という題名でした。)ワクワクしたのは孤児の少年がふとしたことで悪の組織の秘密を握り大活躍するストーリーよりも、高層ビルの上から見下ろす街路の描写、また街路から見上げる高層ビルの光景といった、当時の東京ではどんなアングルを採ろうとも絶対に見られない未来都市の姿でした。現実の戦後間もない東京はまだ焼け跡だらけ、焼け残ったビルも、銀座の象徴・服部時計店(今の和光)、松屋百貨店、伊東屋などめぼしいものは占領軍の米兵とその家族用のPX(スーパーみたいな売店)となり、日本人はオフリミット、戦後は終わったと言われるようになった昭和三十年代でも、東京の町の風景はみすぼらしいものでした。盛大に行われた当時の皇太子(現、上皇様)ご成婚パレードの写真や映像を見ても、当時の東京がこんなに貧弱な町並みだったかと、あらためて驚かされます。それでも東京は憧れの大都会。藤山一郎のヒット曲には「愉し都、恋の都、夢のパラダイスよ花の東京」とまで歌われていたのでした。◆◆いま住んでいる「武蔵浦和」という街は、同じ武蔵がつく「武蔵小杉」ほどには知られていませんが、同じようにタワーマンションが林立し、それらの住民を対象とした商業施設であふれています。少し前までは「ダサいたま」と馬鹿にされた地域がいつの間にか変貌してしまったのです。超高層ビルの谷間の街路から見上げる光景、ビルの高層階から見下ろす街路の光景は、正に子供の頃に衝撃を受けた手塚治虫の「摩天楼小僧」に描かれた未来都市そのもの。埼玉の一都市でさえそうなのですから東京やその他の大都市の景観はかつては想像もつかない変りようです。そう思うと、いつもはあたりまえのように見ている光景も、長く生きて来たからこそ遭遇できたとつくづく幸せを感じるのです。(写真:さいたま武蔵浦和)

