ゴールデンウィークの連休が明けると、東京下町には神田祭(5月11日~15日)、浅草三社祭(5月16日~18日)と、初夏の到来を告げる祭の季節がやって来ます。三社祭は一観客として威勢のいい神輿の宮入を見物しただけですが、神田祭のほうは一時期私が東神田に仕事場を設けていたこともあって、より身近に体感することができました。祭が近づくと町の一角に据える据えられ、寄付者の名札が並び、数多の提高々高々と掲げられ、宵宮にはその万灯に灯が点ると、昼間は東京大空襲で丸焼けになったあとに建てられたワンルームマンションやオフィスビルばかりの殺風景な町並みが、江戸の下町に一変します。多くの古い町名が消滅した中、神田界隈は神田鍛冶町、神田紺屋町、神田北乗物町など、むかしながらの町名が残っているほうですが、新しく変わった町も祭の間は昔の町名に戻り、旧氏子町ごとに、山車や神輿、その他の趣向を競い合うことになります。◆◆天下祭と呼ばれる神田祭は、もう一つの天下祭、日枝神社の山王祭と交互に隔年ごと本祭りが催されますが、今年令和七年は神田祭が本祭りとなり盛大に執り行われます。なにしろ神田明神の氏子町は、神田はもちろんのこと日本橋、大手町、丸の内、秋葉原といった地域をカバーし、氏子には名だたる大企業や百貨店、老舗の商店などが軒並み名を連ね、社員が動員されるのですから、氏子百八町を鳳輦、山車、神輿が巡る神幸祭や趣向を凝らした附け祭の行列はひときわ華やかで、参加者は数千人にも上る大行列になります。附け祭には、祭神の平将門にちなんで勇壮な相馬野馬追や茨城県坂東市の板東武者行列も参加し、一帯は祭一色に染め尽くされます。一見の価値がある伝統行事ですのでお出かけになってみてはいかがでしょう。◆◆神田祭にも一時期ピンチが訪れたことがありました。江戸時代には九月に行われていたのですが、明治維新の際、新政府が朝廷に刃向かった平将門を祀るとはけしからんといって難癖をつけたためしばらく休止のやむな到り到りましたが、氏子らの強い要請でじきに復活しました。ところが復活最初の祭に台風が襲来、その次も悪疫が流行するなど、つづけてケチがついたため、時期を現在の五月に移し、今や東京の初夏の風物詩として欠かせない存在となったのです。そんな経緯にも思いを馳せ、見物するのも一興でしょう。(写真 神田明神公式サイトより)

