MOBA・幸語歳時記「終戦の日」

8月15日の「終戦の日」を幸語歳時記に入れるとは、とお叱りを受けるかと思います。あれほど多くの犠牲者を出した戦争が終結したこの日は鎮魂の日のほうが相応しいでしょう。それと、せめて1年でも早く終わらせていたら、原爆投下も、東京大空襲にはじまる全国の主要都市への空爆も、硫黄島の戦いも、沖縄戦も、すべて回避できたのですから、悔やんでもくやみきれない日と言えましょう。でも、それは後知恵というもので、今起きているウクライナやガザその他の戦争にしても、始めるのは簡単だが、終結させるのがいかに困難かをまざまざと見せつけています。誰だって敗北宣言などしたくないに決まっています。形勢不利とわかっていても、なんとか一矢報いて局面が打開できないか、人は希望的観測に走りがちなものです。1年前に戦争を止めようなんて言ったとしたら、軍部ばかりでなく国民の間からも大反発の声があがり、日本中収集がつかず、内乱だっておきかねません。戦後は軍の方針にしたがったまでと口を拭った大新聞社(当時影響力のあったマスコミといえば新聞でした)にしても「大勝利!」「千人斬り」などと今でいうフェイクニュースを競って流すことによって民衆の受けを狙い、部数拡大に突っ走っていたのですから頼りになりません。結局、一番イヤな役回りを天皇陛下(昭和天皇)に押しつけることでようやく終結することが出来たというのが真相でしょう。誰もドロをかぶりたくないと言ってずるずる先送りしていたら、ソ連の侵攻、日本分割といったさらなるヒドい状態になりかねないところでした。◆◆昭和20年(1945年)8月15日は、疎開先で迎えました。まだ小学校入学前の子供でしたが、それでも微かに記憶が残っています。外はカンカン照りの暑い日でした。やや薄暗い部屋で何人かの大人や年長者たちが正座してラジオを囲み何人かが涙を流していました。私も訳の分からないまま何か悲しくなって、目を拭っていました。蝉の声だけが、ひときわ辺りに満ち満ちていました。◆◆膨大な数の戦死者、戦没者の犠牲の上に築かれた日本の平和ですが、世界では戦争、紛争が絶えません。「人類の歴史」は「戦争の歴史」と言われるほど戦争で埋め尽くされています。宗教も争いの原因にこそなれ戦争を止めさせたことはありません。そう考えると、人間は絶えず戦争を起こす「宿命」を背負ってこの世に存在しているのかと、絶望してしまいそうです。でも、それほど先のない我々には見ることができなくても、我々の死後ずっと先の時代には、いつかきっと戦争のない世界が現出するであろうと信じたいものです。(写真 終戦直後の銀座四丁目交差点付近 産経新聞)