MOBA・幸せ湧く話句「スーパードリーム」

近ごろ特に「生きてるだけで丸儲け」とつくづく感じることががあります。ここまで生きて来なければ決して目にすることは出来なかったシーンを目の当たりに出来る。それが大谷選手のメジャーリーグでの大活躍です。これほど連日、日本中を明るくしている人はないのですから、すでに国民栄誉賞の二つや三つでは足りないくらいです。今や日本中のみながこぞって彼の活躍から感動をもらっています。とはいえ同じ感動でも、シニア世代それも戦後間もない時期に子供時代を過ごしたわれわれの年代層の者が感じる感動と、その後の世代のとではまるで異質だと思われます。多くの世代は、既に、野茂、イチローをはじめ多くの日本人選手のメジャーリーグでの活躍を目にしています。大谷ほどではないにしても、日本選手がメジャーリーグで活躍するのは珍しいことではなくなっています。しかしわれわれが子供の頃は、そんなことは夢のまた夢でした。◆◆敗戦後間もない頃の子供たちにとっては、なんといっても野球が一番人気の遊びでした、学校も今のような少人数学級なんてものではなく、1学級60名、男子だけでも30名というのがザラでしたから、試合をするには人数に事欠きません。どこの広場でも野球、野球、もっと狭い場所でも板きれをバット代わりにテニスボールを打つゴロ野球、という光景が見られたものでした。サッカーなんて誰もやりません。そんな子供たちにとって、日本を占領統治していたアメリカ総司令部の奨励もあって、いち早く復活したプロ野球の人気も絶大、ホームラン王大下の青バット、打撃王川上の赤バットなど、憧れのプロ野球選手の活躍(といってもラジオ放送しかありませんでしたが)に胸躍らせたものでした。◆◆その頃、戦勝国アメリカから親善試合にサンフランシスコ・シールズというチームがやって来ました。メジャーリーグより格下の3Aでしたが、それでもまず体格の違いに圧倒されました。結果は,巨人軍や東西選抜、全日本選抜が束にかかっても歯が立たず、全敗でした。メジャーでの登板経験があるピッチャーというだけで、川上哲治、青田昇、千葉茂、西沢道夫、小鶴誠といった日本の名だたる選手がすくみ上がったように手も足も出ないありさまでした。でも、日本中が大人も子供も日米野球で沸き返りました。ラジオの実況は良く覚えていませんが、めったに買わない「野球少年」に載ったNHKの名アナウンサー志村正順の「誌上実況放送」をワクワクしながら繰り返し呼んだ記憶が妙に鮮明に残っています。そんな時代ですから、日本人がメジャーリーグでプレーすることさえ想像もつきませんでした。まして、投打の二刀流での活躍だけでなくホームランでも盗塁でも、外国人選手の記録を次々に破っていくのですから、当時そんなことをマンガに描いたとしてもあり得ないとバカにされたはずです。その頃を知るわれわれシニア世代にとっては、今目の前で起きていることが夢のようと言うより、夢を遙かに超えたまさに「スーパードリーム」なのです。大谷選手の大活躍を見られるのも「生きてただけで丸儲け」にほかなりません。

(写真:写団けやき 土田厚実)